香月院深励 『三祖一致辨』

三祖の思想が一致するとの著述

製本発注1,650円三祖一致辨48頁
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『三祖一致辨』について

国立国会図書館デジタルコレクションでは「三祖一致辨」にてヒットします (こちら)。非常に短い本です。和本でも全部で23丁ですのでかなり薄い1冊にまとめまりました。

実はこの本は『続真宗大系』14巻にも収載されています。そしてこちらは活字になっています。洋書でかなり読みやすく更にコンパクトになって10頁ほどの分量となります。国会図書館のIDを持っている方は閲覧も可能です (こちら)。

「図書館・個人送信資料」にチェックを付ければ検索は可能ですが内容までは閲覧できません。しかしながら「個人向けデジタル化資料送信サービス」を利用してログインしている人は内容の閲覧も可能になります。「個人向けデジタル化資料送信サービス」は日本国内に居住している人ならば申し込みをするだけでIDを発行していただけるようです (こちら)。海外在住の日本人が利用できないのは残念なことですが逆に国内居住ならば国籍は問われないようです。

「三祖」とは

『三祖一致辨』の「三祖」とは、元祖、宗祖、中祖のことです。つまり法然聖人、親鸞聖人、蓮如上人の御三方のこと。この本では香月院深励師が三祖の思想に違う処は無く一致している、単に教化が異なるという考え方とその理由を述べています。この本がここで出されたと言うことは当時において御三方の考え方が異なるという思想が他者にあったということではないかと思われます。

現在においてもこの三者の考え方が異なるという思想はあると感じます。

例えば元祖と宗祖では、元祖は時代的に日本においてまだ念仏を一宗として独立させる考えが出された最初なので「やむなく」称名をオモテに出されていて、宗祖に至ってはいよいよ本質である信心を出されたとか。特にこれまでのお西の宗学では宗祖を持ち上げるあまりにちょっと元祖を軽んじている感があったと思われます。また蓮如上人と宗祖だともっとハッキリと言われる方も多くて、蓮如さんは宗祖の言われていたこととは違うとハッキリいう方は居られると思います。

深励師はここの処をまずは三祖の思想は同じである、宗祖は元祖の考え方を真受けにして相承されたのであり、また蓮如上人は宗祖の考え方を真受けにして相承されているとみられています。私の個人的な意見としてはこの考え方は非常に大切であると感じます。

三祖が一致しないとどうなるのか

三祖が一致しないとどうなるのか。浄土真宗は親鸞聖人をご開山としていますので宗祖がどう考えられていたかを根本に据えると思います。となれば宗祖の考えになければ認められなくなるのです。それは今ですと残された宗祖の聖教が全てですので宗祖の聖教に書かれているかどうかだけで判断することになります。それは所謂「原理主義」的な考えになりがちと思われます。

列祖においては当然ながら宗祖の書かれた以外の事も云われていますのでそれは否定されるでしょう。今も覚如上人や存覚上人、蓮如上人の書かれたものは否定される傾向があると思います。そもそも個人的には宗祖の聖教しか認めず列祖を否定する人が何か新しいことを言ったとして他者にその主張を受け入れて貰おうというのは自己矛盾のような気がします。

なによりもこのことは浄土真宗の教義を狭くするものと思われます。

宗祖執筆の裏にあったこと

宗祖はお書物を執筆されたときに「俺の書くモノ以外は認めないから」とは言われていなかったのではないでしょうか。なぜ著述をされたのか、どこに問題があって宗祖は執筆をされたのかを窺うときに、仏恩を報ずるとか恩徳に謝すとか以外には、やはりその当時の浄土異流における元祖の思いとは違うことを気にされてのことだったことは容易に推察できます。

となれば気にすべきは浄土異流との境がどこにあるのか、どこからが浄土真宗でドコを踏み外すと真宗ではなくなるのかにあると思えるのです。三祖ともその部分で一致しているということなのかなと。

お西の教学は三業惑乱以降にはそれまで浄土異流に対比して当流をみていたのに代えて、御当流の安心を外れないようにと気にしてきたとどこかで読みました。今も宗派のスタンダードな教学があってそこからはみ出すことをあまり佳としない傾向がある気がします。このことは自分たちで自分たちの考え方を狭めてしまっているのではないかと思います。もっと浄土真宗は広く考えられるのかも知れません。この『三祖一致辨』を読んでそのようなことを感じた次第です。

和本を読むと得られるもの

私この『三祖一致辨』は香月院深励師の講本の中でもごく初期に読みました。まだ長いものを読むのは難しかったので手始めに短い本から読み始めたのです。他にも『言南無者講義』( 製本化はこちら )、『念仏往生願講義』( 製本化はこちら ) など読んでました。これらの和本には独特の省略字体 (それでも写本に比べれば略字は少ない) があり、また濁点や句読点が書かれて居らず、それを判別しながら読んでいきました。時々前に戻って読み返したい時にまた判読をしなければならない。その手間を省くために本に濁点や句読点を朱で書き入れていました。自家製本だからこそできた事です。

今でも自家製本の和本で読むときには朱を入れることは多いですがこれを続けていたら江戸より手前の本は大抵すらすら読めるようになりました。江戸講本が読めるようになると明治期~昭和の本は読めるようになります。百論題 (『真宗叢書』1巻2巻) など以前は読みづらいと思っていましたがこれも難なく読めるようになりました。これは自分の読める本の数が増えたことも意味しています。和本を読み進めた効果かなと思っています。そしてその時には自分が平気で書き込める自家製本だから気軽に書き込みができたのかなとも思っています。

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