香月院深励 『念仏往生願講義』

香月院深励師の念仏往生願についての講録

製本発注3,400円念仏往生願講義228頁
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『念仏往生願講義』について

国立国会図書館デジタルコレクションでは「念仏往生願講義」にてヒットします (こちら)。和本では本末の2冊ですが製本化する際にまとめて1冊にしました。結構分量があるので読み応えがあると思います。またこの講本は『真宗体系』や『続真宗体系』にこれを活字化したものは収録されていません。この和本でしか読めない深励師の講義となっています。

念仏往生願とは

念仏往生願とは「念仏往生之願」でご本願のこと。第十八願のことです。この講録 (講義録) では深励師の行信論について知ることができます。同じような事は『広文類会読記』で行巻の最初の方 (『真宗大系』13巻収録 ) にも出ていたと思います。つまり第十八願と第十七願の関係についてです。

信巻の標挙に「至心信楽之願」と第十八願が示され、出体釈に「念仏往生之願」と元祖から受け継いだこの願名が出ます。一方行巻の標挙には「諸仏称名之願」と第十七願が出ます。そして細註には「浄土真実之行」と「選択本願之行」と並んで出されます。この「選択本願」は第十八願に願名として使われるのになぜこれが第十七願を標挙とする行巻の細註にあるのかということから第十七願と第十八願、行と信の関係を示されています。この辺は私の理解が不十分で間違っているかも知れませんので是非とも本を直接読んで頂きたいです。

高倉学派の行信論

行信論が定まるとそれを土台にあとの全てのものが定まるというか、学派の考え方の大元になるところに行信論があるようです。普賢大円和上の『真宗行信論の組織的研究』(こちら) では高倉学派は能行派の方に分類されていたと思います。その分類の元がこの香月院深励師の行信の考え方にあると思われます。

そんな単純に能行派・所行派と分けられるのかについて今では異論も出ることでしょうけど、法体名号の成就を十七願成就ととり、しかしながらこれが衆生に領受されないところでは単なる名号でしか無く、名号が衆生に領受されて必ず信心となる手前のところを行とみるのが深励師の行信論かなと思っています。つまり衆生の上での行とみているのに名号が行であるという考え方です。深励師のこの辺りの考え方は月珠師の豊前轍 (豊前学派) にも影響を与えているようです。もし間違っていたらごめんなさい。

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